酒のんだ

そういえば先週はパトリオット劇場の反省会があった。もう先の公演を忘れかけた頃に大木から連絡があって、新宿の例の店に集まることになった。

しかし、公演を打つという口実でもないと、見事に疎遠になるものだな。毎度毎度思うことだけど。稽古期間中はふつう世の中にある人間関係よりも親密な感じになりがちだが、終わったとたんにぱたっとそれが途絶えてしまう。この現金さはわりと心地よい。

久しぶりに会った皆の衆は元気そうだった。近況などを話しているうちに酒が進み、もちろん反省会どころではなくなった。次の公演の予定があるのは自分だけのようだ。みんないわゆる「ふつうの日常」を送っているらしい。二人芝居のことを話しながら少し気がひけたが、別に演劇だけが人生ではないし、どうでもいいといえばどうでもいいよな。

パトリオット劇場の今後がどうなるのか、大木に続ける意志があるのか、馬鹿騒ぎにまぎれて聞きそびれてしまった。それともみんな、その一事を切り出すのがなんとなく怖くて、それで酒にまかせてはしゃいじゃったのかもしれない。大木も何にも言わないし。

この劇団も今度こそ終わるのかもしれない。29歳のときに入ってからだから、8年たったわけか。ムッシューフジタの退団騒ぎの時も、特にこの場所に思い入れがあったわけではなく、ただ行動を起こすのが面倒だったのと、あたふたと沈みゆく船(のように見えた)から逃げ出したがる人たちを定点観測するのが面白くて居残っただけだったので、今さら何が起こっても悲しいとは思わない。さしあたりフリーランスという立場で、続けられる限りは芝居を続けるつもり。大学入学と同時に足をつっこんでほぼ20年、むしろこれまでよくやめずにいたものだ。特に演劇というジャンルに思い入れがあるわけでもなく、激しい熱意のようなものもついに持たずに来てしまったが、それがかえってよかったのかもしれない(芝居を続けていること=善と仮定すればの話だが)。期待が強ければそれだけ幻滅も大きいからね。いや、さっさとやめた奴の方がぜったい賢明だな。もうちょっとラクでなおかつ楽しいことが、人生、他にいろいろありそうなものだ。

福島での上演も今から見れば珍しい貴重な体験だったと、思えば思えないこともない。戦友気分。最後まで理解不能なことも多かったけれど。なんか上層部の理不尽な指令にともに耐え抜いた仲間、という意味でも戦友っぽいな(大木~)。次にこのメンバーで顔を合わせるのがいつになるのか、そんな機会があるのかどうか分からないが、どうぞその時までお元気で。

 

 

自分のようなものでも

次の芝居のことをそろそろちゃんと考えなくてはならなくなり、おまけに妙に仕事が忙しい日が続いて、睡眠時間がふだんより短くなりがちな一週間だった。

で、今朝、鏡をなにげなく覗いてみたら、老人がいた。疲れがまともに顔に出る歳になったようだ。すでに1年ほど前から、額にしわが常駐している。

「実年齢より数年(人によっては10年以上)若いつもりでいる」というのが現代人の常態だと思うが、たまに何かの拍子で己のリアルに直面させられることがあって、そんな時、物悲しくも少しほっとした気持ちになる。なぜだろう? 自分に対して見栄をはらなくてもいい状態が一瞬実現するからか。それとも落魄願望のようなもの? まあ年をとればそれだけ終わりの時が近づくわけで、そうかお役御免になるのも自分が思うほど遠いことではないんだ、と気づいて肩の荷が軽くなったように感じるのだろう。むやみにがんばらずとも、時間というものが一定速度で確実に死にむかって自分を運んでくれる。ベルトコンベアーに乗っているような安楽さ。ということは、ふだんはその上でむなしい逆走を試みているわけか。

いずれにせよ、ああ俺年とったなあ、というつぶやきに、ある種の甘美なものが含まれていることは間違いない。本当に死が目前に迫ってきたらそう呑気にかまえてもいられないだろうが。だいぶ近づいたけど、まだもうちょっと先、ぐらいの距離感がいいんでしょうね、きっと。

 

めでたしめでたし

「『私は子どもの時から、具体的に知覚できる事物を表現しようとする性向を持っていました。単なる関係とか状態、あるいは抽象概念といったものは、私にとってあまり価値がなかったのです。そのようなものは、思考の仲間に加えることができませんでした。幼いころ私は色々なものを並べてできあがったものに、たまたまよく耳にする土地の名前を付けました。(…)その上、聞き覚えた抽象概念や関係にも、具体的な形を与えて心にとめておくことができたのです。今でも覚えていますが、子どもの時“徴兵”という言葉をよく耳にしました。そのころ私たちの家に新しい楓のテーブルが運ばれてきました。テーブルの平らな板は、くすんだ色の木の楔で締めてあります。この楔の横断面が厚板の合わせ目からはすかいに見えます。この部分を私は“徴兵”と名づけたのです』」(シュティフター『晩夏』、薔薇の家の主人の告白より)

 

俺の弟は小さいころ、プラスチック製の4トンカラーぐらいに色分けされた筒状の物体(用途不明)に、「にんきもの」と名前を付けて大事にしていた。その後長ずるにおよび、上の話し手のような芸術家になることは特になく、今ではただの釣り好きの30男である。

キンダーブック

日曜日は法事で実家に帰っていた。県外に散らばっている父親の兄弟姉妹4人が勢ぞろいした。

お坊さんの明瞭かつ妙にアタック音の強い読経を聞きながら考えていたのは、7回忌を迎えた父方の祖父のことでは必ずしもなく(本当にいい人だったんですけど)、今ある仏壇のデザインっていつごろ完成したのだろうか、やっぱり江戸時代かしらん、などといったしょうもないことだった。

父方の家系はいたって信心が薄く、実家の仏壇もいちおう置いてありますという程度の粗末なしろものだが、母方の祖母の家にあったブツはなかなかに立派だった。実家のものより一回り以上大きかったし、蒔絵やら彫刻やら、飾りつけもずっと豪華だった。子供の頃は祖母の家に行くたびに、そのかっこいい意匠をあれこれ物色するのが楽しみだった。はじめからその仏壇があったわけではなくて、途中から急に出現したもののような気がする。もしかしたら、わたくしが小学生のころ亡くなった祖父の菩提を弔うために、信心深かった祖母が大奮発して新調したのかもしれない。だってさっき調べてみたら、仏壇てめちゃめちゃ高いじゃないですか。祖母は毎日かかさず燈明をあげ、ご飯をお供えし、お経を読んでいたようだ。

その仏壇のあった部屋(仏間というのか)はそれ自体も、ちょっとした和風図案の宝庫だった。ふすまや床の間、部屋と縁側をへだてる引き戸のすりガラスなどに、なんというか、輪島塗の蒔絵あたりを思いっきり簡素にしたような、たぶんごくありふれた山水画テイストの図柄がちりばめられていた。よく眺めていた気がするわりにどんな絵があったかまったく思い出せないのだが、おおかた庵があって例の霞が立ち込めていて爺いが釣り糸を垂れていたり、松の枝に鶴がとまっていたり、秋草だったり開いた扇だったり、そんなやつじゃなかろうか。仏壇のケンランたる意匠をバロックとすれば、それを水でぐっと薄めたような仏間のしつらえはさしずめロココ風といったところか(ものすごく適当なことを言っています)。もちろん実態は、ど庶民の家にふさわしい、イミテーションじみた安物の調度品ばかりだったのだろうけれど。

その祖母もわたくしが大学で県外に出てしばらくたった年の冬、心停止でぽっくりと逝き、家も何年か前に取り壊されて跡形もない。それで時折その家のことが妙になつかしくなり(はっきり言って実家よりなつかしい)、せめてそれを思い起こさせるよすがになりそうなものを求めてあれこれ「和風」の意匠を探ってみたりするのだが、これがなかなか見つからない。だいたい、仏壇的バロックやピクチャレスクな室内装飾の路線は、なぜか当今はやりの和風モダン建築や再生古民家などからは周到に排除されている。もてはやされるのはブルーノ・タウト柳宗悦あたりが喜びそうな、装飾性に乏しいすっきり系のデザインばかり。そういえば、住み家を絵で飾るって考え方自体、モダニズム以降はもう主流でないのだろうなあ。

食器にしたってそうである。祖母の家にあった茶碗やお皿は、九谷焼の里に近いゆえか、ほとんどが絵入りの磁器であり、動植物やどこかの風景(和風だったり唐風だったり)を、くっきりした輪郭線を用いて細かいタッチで描いたものが多かった。眺めて楽しいイラスト入りテーブルウェア。間違っても白洲正子風の素材感勝負な「うつわ」だったり、片岡鶴太郎系のぼやけた墨絵で汚れた代物などではなかった! 

とにかく、祖母の家で見たような「ああいう感じ」の何かが見つかりそうで見つからず(それほど熱心に探し回ったわけでもないが)、すべて幻だったのだろうかという気持ちに時々なる。何しろ現物がもうないので確かめようがない。いちど試しに母親に「ほらああいう感じ」と持ちかけてみたが通じていないようだったので、わたくしの妄想の極楽浄土であった可能性も高い。京都のお寺なんかももちろん違うし、「なつかしい昭和庶民のくらし」系でもないし、こないだ法事のあと家族親戚と行った料理屋もピンと来なかったし、ほんとなんなんだろう。ある時代の庶民の住宅として平均的な、どこにでもある意匠・様式だと思っていたのだが(実家は父親の趣味がもともと「古民家系」「白洲正子系」なので参考にならない)。まあ、あるところにはきっといくらでもあるのだろう。地方の、ほどほどな古さの家とか安旅館とか。いつか行きあたるといいと思う。死ぬまでにもう一度くらいは、あの「ばあちゃんの家」に行ってみたい。

 

公演のご案内

すっかり更新が滞ってしまいました。

次回出演作品のお知らせです。

 

山中みどり・久留米冬季 二人芝居

『衝撃吸収してね』

 

作・演出: 山中みどり・久留米冬季

出演:       同上

日時:

2012年12月7日(金)~9日(日)

7日(金) 19:00-

8日(土) 14:00- / 18:30-

9日(日) 14:00-

*開場は開演の30分前

会場: カフェ 死の薔薇(渋谷)

料金: 当日券のみ 1800円(ワンドリンク付き)

*当日散歩がてら、ふらりとお越しください。

 

山中さんと僕の合作です。

2人でああでもないこうでもないと議論しながら台本を作っています。

どんなお話になるんでしょうか。まだ皆目見当がつきませんが(こら)、男がいて女がいるんだから、当然、なあ?…という展開にはならなさそうです。恋愛要素抜きのジェイン・オースティンみたいなものになればいいなあ、と漠然と考えております(あり得るのか、そんなもん)。志だけは高いようです。

山中さんとは何年か前、とあるお芝居で共演して知り合いました。ご存じの方も多いと思いますが、楚々とした佇まいの東洋風美人です(橋口五葉の『髪梳る女』をちょっとツンとさせた感じ)。女優女優したところがまるでない、この人が芝居なんぞやってるのは何かの間違いだろうと思わせる並外れた平凡感をそなえた人です(褒めています)。しばらく前に結婚されて、演劇からは遠ざかっていましたが、これからまたぼちぼち再開したいとのことで、復帰第一作の相手役になんとご指名いただきました。ありがたやありがたや。男と二人芝居とか、よく旦那さんが許したな。

都内某所で週5日ほどのペースで稽古をやっていますが、僕が稽古ぎらいなうえに山中さんが極度ののんき者なため、稽古時間の半分ほどはお菓子などを食べながらおしゃべりしているだけという体たらくです。楽しいー! まあ、あまり二人の息が合った完成度の高い作品になってしまっても、本番を見にきた旦那様がやきもちを焼いて夫婦の危機を招きかねないので(望むところですが)、ほどほどに手加減しておいてやろうと思っております。

というわけで、まるで宣伝になっていないようではありますが、お気が向いたらぜひお越しください。

 

 

ろくでもない

神よ、福島からの帰りに駅でお土産を買ったはいいが、「げっ福島の食い物かよ。えんがちょ」と思われるのではと不安になり職場に持って行けず、2週間かけて1人で18個入りの菓子を食い切った私をお許しください。いえむしろ罰をお与えください。これがまたなかなかおいしい芋菓子で、一口食べた瞬間、「やっぱり皆にも振る舞えばよかった」と後悔した。でも以前、福島はおろか、東北の産品は一切口にしたくないと面と向かって言われたこともあるしなあ、反原発な人に。難しいですわ。

上演旅行から帰って以来、いたって無気力な毎日をすごしている。休日は何をするでもなく家にいる。1冊の小説を読むのに10日かけたりしている。次に出る芝居の稽古がもうじきスタートするまで、たぶんこんな調子だろう。アンティゴネーの反省会をやりたいと大木が言っていたが、一向に連絡が来ない。燃え尽きちゃったのかしら。

職場の健康診断の結果、血中の中性脂肪とγ-GTPの値が高く、3か月後に再検査とあいなった。いよいよ来たか…。しかし、ちょうど健診前1か月ほど、ほとんどアルコールを摂取してないはずなのに、おかしい。ウエストも去年より少し縮まったくらいなのに。最近また飲むようになってきているから、このままだと再検査でもアウトになりそう。あーなんか中年中年。

 

 

味な旅・福島 その4(了)

9月22日(土) 最終日

11時にホテルのロビーに集合。チェックアウトを済ませ、最小限の携行品だけを残して荷物を預ける。

ホテルを出て最初の上演場所へと徒歩で向かう。その途中、ラーメン屋で腹ごしらえ。駅近くの『丸信ラーメン』というところ。しょうゆラーメン¥550を食べる。スープが2層に分かれている。上が透明で下が濁ったやつ。食べているうちに自然に混ざってくる。太いちぢれ麺とあっさりスープがよく合って、とてもうまかった。ここもできればまた来たい。このラーメン屋にいる間、なぜか女性陣が交代でひっきりなしにトイレに立つ。皆さん飲み過ぎでしょうか。

 

ラーメン屋を出てまた歩き、ほどなくセシウム公園(不謹慎)に到着。13:00上演開始。橋を渡り始めるが、曇天だった前日と違い、晴れていてかなり暑い。前日のリハーサルと同じでもう新鮮味もないし、昨晩の酒も若干残ってるしで、全然やる気が出ない。適当に形だけこなすことにする。

対岸の、拡声器で指示を出す大木から少し離れたところに、イキウネらしき人影が見えた。上演を観察しているようだ。と思ったら、とつぜん水際のところまで駆け出して、川に向かって上半身を折り曲げた。遠くからも、こぼれ落ちる吐瀉物がはっきり見えてしまった。このうんこ野郎。

 

以下、各上演の詳細は省く。どの場所にもイキウネがつきまう。微妙に離れた場所からこちらをじーっと見ていて、ときどき野次を飛ばしてくる。かまってほしいらしい。完全無視が一番だと分かっているが、ついイラっとして睨んでしまう。第三場でこちらが台詞をかんだ時には、ここぞとばかり盛大に笑われた。ただでさえ通行人がいて恥ずかしいのに。向かいの家から子供が5、6人も出てきて、くすくす笑いながらこっちを見ているのに。思わず「笑うな!」と声をあげたら、芝居に集中するよう大木にたしなめられた。仕返しに第四場で、どうやら地下道にいる雲雀氏を探してあちこち駆けずり回っているらしいイキウネを、みんなで手厚く罵ってやった。

 

第四場の上演中から雲行きがあやしくなり、終わって駅に向かう間に降り始めた。ほどなく土砂降りに。駅前の通りで自民党総裁選の街頭演説をやっていた。安倍君、石原君、その他候補者が勢ぞろい。かなりの人だかり。しばらく皆で立ち止まって、石原の演説を眺める。テレビで見た印象よりも「ええ声」で驚く。そういう家系なんでしょうか。

目の前をまたイキウネが通り過ぎていく。すれ違いざまにちらっとこちらを見て、すぐに目をそらしやがった。少し離れたところで彼も演説を見ていた。大木には卵を投げても、石原君には投げないようだ。

 

小降りになってきたので駅に向かう。タクシーで信夫山へ。前日で懲りたため、車で直接展望台に乗り付ける。街並みを眺めるが、昨日いちど見ちゃったので何の感慨も湧かない。ここだけはぶっつけで良かったのではないか。仕方がないので大きな石の上に登って遊んだりした。雨で濡れているので本当は危ない。大木がまた拡声器を取り出して「さようなら福島」とか何とかぶつぶつ言い始める。その間だけ神妙な顔をしておく。

護国神社まで歩き、タクシーに乗ってホテルに戻る。日差しと雨にやられて皆かなりぐったりしている。新幹線の時間までロビーのソファーで休んでいるうちに、少しうとうとしてしまった。

 

気がつくともう時間ぎりぎり。急いでホテルを出て、早足で駅に向かう。駅前広場はけっこうな人出。駅の建物に入ろうとしたところで、男の声に呼び止められる。またイキウネ。俺はアンティゴネーの専有を許さないとか、オイディプスがどうとか言い始めるが、人が多くてよく聞き取れない。というかこの童顔の青年、態度がでかいわりに声が小さい。

台本とおぼしき紙の束を雲雀氏に差し出す。その手をロッソが駆け寄って払う。白い紙がばらばらと宙に舞う。ロッソがそのままイキウネの胸ぐらをつかんで引きずり回す。と、警備員の服を着たおっさんが現れて、二人の間に割って入る。ロッソをなだめにかかる。俺もそちらの方に歩き出していた。おっさんとイキウネ、どちらをどつきに行こうとしていたのか、よく覚えていない。「やめてください。列車に遅れます」という大木の声(via拡声器)で我に返る。あわててトランクをつかみ、多少ざわついている人ごみを残して駅に駆け込んだ。

新幹線にはどうにか間に合った。駅弁も確保。あのまま大木が止めてくれなかったら、けっこう大ごとになっていたかもと思う。

 

電車の中ではみな言葉少なだった。疲れていたせいかもしれない。駅弁を食うのに忙しかったからかもしれない。食後、放心状態で座席にすわっているうちに、また眠ってしまった。

目が覚めたらもう宇都宮あたり。上野駅で俺以外の4人は降りた。窓越しに手を振る。東京駅で山手線に乗り換え、あれやこれやで無事帰宅。録りためておいた『梅ちゃん先生』をまとめ見して寝る。(終わり)

 

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