味な旅・福島 その3

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9月21日(金) 2日目

(承前)街はずれに信夫山という、さほど高くない山があり、そこから市内を一望できるらしい。上のほうまで車で入れるというので、もう宿に帰りたかったが行くことにする。駅前からタクシーに分乗し、中腹にある護国神社まで移動。そこから展望台まで歩く。思ったより距離があり後悔。

第一展望台というところに着く。眺めはさすがにちょっとしたもの。デートスポットにもなっているらしい。完全に夜になっていなくてよかった。明日も上演終了後、この場所に来て、「お別れの儀式」のようなことをやるつもりだという。そうですか。神社まで歩いて戻り、呼んでおいたタクシーに再び乗って市内に。運転手さんに何の用で福島に来たのか聞かれて、返答に困ってしまった。

 

宿でひと休み。そのあと皆で晩飯。

1軒目は佐渡料理を出す居酒屋。佐渡料理なんてものがあるのかは知らない。座敷におんでこ(鬼太鼓)のお面などが飾ってある。給仕のおかみさんがひどく訛っていたが、佐渡弁なのか福島弁なのか知らない。

刺身や焼き物など、とにかく魚をいろいろ食べた。うまかったけど、最後のほうは少し飽きた。次の日に本番を控えているのだが、今日ひととおりリハーサルを終えてしまったせいで、打ち上げのような気分になる。久しぶりに酒を飲む。

みんな妙に浮かれており、もう一軒行こうということに。大木が取材の時に目をつけていたというバーに入る。ライブなどもやる店らしく、音響や照明の機材がころがっている。壁には歴代のグレートなロックグループの写真(の白黒コピー)がべたべた貼ってある。ビートルズツェッペリンからスミス、ローゼズまで。この日は90年代のインディーロックがかかっていた。ソニックユースマイブラニルヴァーナなど。

ポテトチップスをつまみに盛んに飲む。吉本さんが三角形のチップスを2枚、ツノのように頭にあてがい「ほら」とこっちを向くので、「ラムちゃんみたいだね」とじゃれていたら、ぶしつけに男の声で「おい、お前」と呼びかけられた。視線を向けると、なんと、あのイキウネが立っていた。福島までついてきたようだ。かなり酔っているらしく、ろれつの回らない舌でこちら(おもに大木か)に因縁をつけてくる。お前はわかってないとかなんとか。吉本さんが言い返す。また悪態をついてくる。危害は加えてこなさそうなので、相手にしないことにした。

イキウネは酒瓶を片手によろよろと店内を歩き回ったり、我々のとなりのテーブルに突っ伏したり、思い出したようにこちらにからんできたり、自由自在である。相当鬱屈しているらしい。カウンターにいた若い男女が迷惑そうに席を立つ。まったく、ウィーンで挫折した画学生をやってた若きヒトラーもかくやと思わせるクズっぷりであった。世間様に迷惑をかけることにならないうちに、誰かこの青年の面倒を見てやってほしい。俺は嫌だが。

気がつくとイキウネは消えていた。ゲン直しにさらにもう1軒ということになり、すぐ近くにある豆料理の店へ移動。なんかロハスな感じのこじゃれた店。客も全員それ風の若い女性だった。いる所にはいるようだ。

「赤だし仕立てのビーフシチュー」「味噌の乗った焼きおにぎりを豆乳汁で食べるやつ」「バルサミコ酢のソースをかけたアイスクリーム」などを頼む。店主は俺と同じくらいの年頃の陽気な男で、料理をテーブルに運んでくるたびに外人の真似をしておどけてくる。女性陣が酒の勢いで調子を合わせると、気をよくしたのかおどけがエスカレートしてきた。が、最後のデザートを持ってきたとき、あいにくこちらの話が盛り上がっていたせいで、彼のサービスを完全に黙殺してしまったのは気の毒であった。

彼には悪いことをしたが、出てくる料理はどれもハズレがなく、抜群にうまかった。一口食うたびに皆で感動していた。顕彰の意味を込めて、特に店名を書きとめておく。『豆食堂 ポロッポー』。また福島に行く機会があったら是非立ち寄りたい。

 

いい気分で宿まで歩く。部屋に戻り、シャワーも浴びずに就寝。(最終日に続く)

 

 

味な旅・福島 その2

9月21日(金) 2日目

10時半にロビーに集合。大木から上演についての詳しい説明を受ける。要約すると、

・4つのシーンのそれぞれに市内の1箇所をあてる。つまり合計4箇所で上演する。

・盲目の観客は個人としては存在しない。

2つ目についてはやっぱりという感じ。「盲人の眼差しとは、つまり不在の観客からの眼差しということなんです。誰にも見られないからこそ、私たちは劇を上演しなければなりません」みたいな超論理をこの期におよんで展開していた。が、不思議とそういうものかなという気持ちになる。福島に来てしまった時点で勝負はついていたのかもしれない。

 

ホテルを出て、各上演場所でリハーサルをすることになった。雨が降ったりやんだり、すっきりしない天気。

 

第一場は阿武隈川の河原。川に面して小さな公園があり、その一角に建つあずまやを控えの場所にする。公演のすぐ隣は福島県庁。

公園のある側の岸からスタートして、対岸まで長い鉄橋をゆっくりと一列で渡ってゆく。能の橋掛かりのよう。向こう岸に着いたら、アンティゴネーとイスメネはそのまま土手を下りて水際まで進む。クレオンとハイモンは土手の階段に腰かける。

第一場が始まる。ここからは川べりに立つ二人の後ろ姿が小さく見えるだけ。声はまったく聞こえない。少し風があるらしく、二人の衣装がはためいている。周りの草むらから虫の声。大木が向こう岸から拡声器で指示を飛ばす。現実感がだんだんなくなってくる。ここが古代のギリシャであってもいいような気分になる。

半分眠ったような状態で見ていたら、雲雀氏と吉本さんがくるりと振り向いて、こちらに向かって歩き始めた。そのまま今度は逆方向に橋を渡り切って、第一場は終了。

あずまやの場所まで戻ると、県の職員とおぼしき半袖シャツの男が煙草を吹かしつつ、大木と話していた。なんとこのあずまやの周辺一帯、セシウムの濃度がけっこう高いらしい。「でもそんなこと気にしてられませんからねー」と職員さんは笑っていた。それを聞いてロッソがあわててマスクを取り出した。無駄じゃ無駄じゃ。

 

昼食は県庁の建物の中にある食堂でとることにした。メニューが充実。ロースカツカレー¥650を食べる。カツの肉がかたくて、歯の間に盛大に挟まった。

 

休憩後、第二場の上演場所に移動。駅前の繁華街にある、廃墟めいたビルの屋上。不法ではないかもしれないが無断侵入である。錆びてぼろぼろになった自転車が横倒しになっていて、その自転車からも周りの床からも草が生えている。天空の城ラピュタみたい。粉々に割れた窓ガラス。色がはげた物干し台。

第二場はアンティゴネーとクレオン、そしてイスメネの口論のシーン。やはり三人とも棒立ちで、淡々と台詞をやりとりするだけ。ここも少し風が吹いている。こちらからは目をそらしたまま、アンティゴネーが少しうつむき加減で台詞をつぶやく。なんかきれいと思ってしまった。いかんいかん。アンティゴネーの魔力おそるべし。姉妹がテバイ市民にしょっぴかれるのを見届けたあと、クレオンも屋上をゆっくりと後にする。第二場おわり。

 

第三場はクレオンとハイモンの親子喧嘩のシーン。廃ビルのすぐ近くにある遊歩道のベンチ。両端に二人で離れて腰かける。ベンチの向かい側はラブホテル。ヨーロッパ調のムーディーな街灯が並ぶ。ベンチのすぐ脇には、裸にかろうじて上着をはおっただけみたいな女の子の像が立っている。無駄に色っぽい道具立てで、まったく色っぽくないシーンを演じました。通行人は不審がって見ていくし。なぜこの場所を選んだのか。

 

第四場、アンティゴネーの嘆きのシーンは、ふたたび県庁近くに戻って、大通りに隣接する地下道。アンティゴネーが閉じ込められる岩屋に見立てたわけか。実際なんとなくじめっとしている。リハーサルでは我々もそばで見ていたけど、翌日の本番は雲雀氏ひとりで演じることになる。通りかかった人は気味が悪いだろうと思う。

 

リハーサルがすべて終わった時点で夕方の5時ごろだったろうか。もう薄暗くなりかけていた気がする。とにかく疲れた。これで宿に帰って一休みできるかと思っていたら、大木が山に行くと言いだした。(長くなったので後半につづく)

 

 

 

味な旅・福島 その1

福島への二泊三日の旅から帰ってきた。備忘のため出来事を簡単に書きとめておく。

 

9月20日(木) 1日目

1時に上野駅集合。駅前広場で待ち合わせたが、九月も後半なのに日差しが強くて、周りのビルを眺めているうちに頭がぼんやりしてしまった。大木が拡声器(わざわざ旅行に持参してた)でなにか喚いていた気がする。寝不足で目がチカチカした。

皆のあとについて早足でホームに来てみたら、出発までけっこう時間があった。駅弁を買う。

新幹線が来たので乗車する。やまびこ63号。隣の席にロッソ。こんな時でも黙々と携帯をいじっている。早々に弁当を食い、座席のポケットにあった冊子を眺める。東京駅の改装特集。藤森照信辰野金吾の孫(ひ孫?)と対談していた。

寝てしまったらしく、気がついたら窓の外が田園風景だった。ほどなく福島駅到着。所要時間1時間半。やや曇天。そして東京より微妙に涼しい。

駅前はそれほど人が多いとは言えず、閑散としていた。県庁所在地とはいえ、平日の昼間ならこんなものだろうかなどと考えつつ、一服。建物や道路がおおむね新しめできれいなだけに、かえって寂しい感じがする。市出身の作曲家・古関裕而という人の像がある。1時間おきに「古関メロディ」のどれかが像から流れるらしい。けっきょく一度も聞く機会がなかった。

駅のすぐそばのホテルにチェックイン。フロントの女性が堂々と訛っている。言葉遣いは標準語だけどイントネーションが。本人にもその自覚があるのだろうか、それともまぎれもない標準語を話しているつもりなのか。他の地方でもそうだったかしらと思ったところで、東北に来るのが初めてだと気づいた。

この時点で午後4時くらいだったか。晩飯まで自由行動。部屋に入ってみると灰皿がない。エレベータ―ホールまで行って吸うしかないようだ。大木のばか。外をぶらついてみようかとも思ったが、部屋でごろごろしているうちにまた寝てしまった。

夜は皆で、駅からそれほど遠くない店でもつ鍋を食べた。あとギョーザ。どちらもまあまあ。吉本さんがギョーザを気に入ったらしく、いいですか、いいですか、と形だけの断りを入れながら大皿の半分くらいを平らげた。この旅で分かったことだが、ほんとよく食う娘だ。

飯のあとは駅の周辺をぶらついた。繁華街のようなところも歩いたが、道幅が広くて車がすいすい行き交うので妙な感じ。風俗のお店なんかもけっこうあるのに。こんなに見通しがよくあけっぴろげだと、お店に入るところがかなり遠くからも見えてしまいそうで心配になる。こういう店は人目を避けて行くものではないのか。それともここらじゃ、タクシーで横付けして店内にサッと消えるのが粋なのか。

宿に帰り、時間は早いがみな疲れていたので解散。夜に限って寝つかれず、かといってもう外に出る気にもならず、ずっとスマホをいじくりまわしていた。あといちおう台詞の最終確認も。福田恆存の訳文はよく読むと、たいへんクドくて覚えづらい。人称代名詞とか律儀にぜんぶ訳出してるんじゃないか。1時過ぎにようやく就寝。(2日目に続く)

 

 

 

仲間はずれ

昨日、稽古に行ったらロッソがいた。おとついの大木の演説(だったらしい)にも足を運んでいたそうな。「おす」と声をかけたら「はい、すみません、いろいろご迷惑をおかけして…」みたいなことをぶつぶつ言っていた。なるほど。土壇場でパーティーメンバーが勢揃いって、なんかファイナルファンタジーみたいでいいね!

大木が演説中、あのイキウネとかいう若者に卵を投げつけられたらしい。別に同情はできないというか、むしろナイス趣向というか、結局のところ類友だろう。向こうは向こうでどうやら『アンティゴネー』を自分の思い込みにまかせて改作しているようだし。こしらえものの作品と現実世界を簡単に混同してしまう人の頭のしくみがよく分からない。そりゃあ、何か月もある人物を演じ続けていたら、多少はその人となりに自分が似てくるように感じることはあるけれど。でも、あの人たちの場合は度を越しているというか、同一化の対象が外の世界にまで拡大されちゃってて、はたから見ていて危なっかしい。

戯曲を聖典か何かのように読んでしまっているということだろうか。宗教性とはまるで無縁な人間には理解できない。もちろん、あらゆるテキストはそのようなものとして読むことが可能だろう。聖典に書かれている以上、すべてを真実と受け取らざるを得ないわけだ。

しかしだとすると、俺はなんなのだろう。クレオンみたいに横暴で無慈悲な人間だと思われているということか。心外な役どころだ。でもまあいい。お前らが気分よく抵抗者・殉教者ごっこやってられるのも、権力が馬鹿な抑圧者として振る舞ってあげてるおかげだろうに。クレオンがあの布告を出さなかったら、アンティゴネーの人生はもっとみじめなものに終わっていたに違いない。権力者も大変である。ヒマ人に遊び道具まで提供しなくちゃならないんだから。

 

などと意味なく吠えている間に出発前夜である。実はちょっと楽しみ。

 

 

休日満喫

お昼すぎに大木が新宿で何かやらかすつもりだったらしいが、無事やらかしたのだろうか。『アンティゴネー』上演に向けての所信表明的なパフォーマンスだとか言っていた。ポリスに捕まったりしてないだろうな。

お前らも見にこいというメールが昨日回ってきたが、悪いけど行かなかった。家でずーっとDSやってた。主旨やら心意気やらに賛同できようが、あるいはできなかろうが、アジったりデモったりみたいな熱いのが苦手である。福島にはちゃんと行くし、上演にも協力するし、それでいいでしょ。

ていうかあいつ、なんか絶対アンティゴネーに変な感情移入してるだろ。自分がやってることを重ねたりしてるだろ。雲雀氏にもその気配が見える。冷静に考えればアンティゴネーが利己的な性悪女に過ぎないことはこないだ書いたが、彼女の行為がなにか犠牲的で気高いもの(風の谷のナウシカみてーな)に見えるのは、ひとえにソフォクレスの作劇の巧みさによるものである。まったく騙されてるんじゃないわよ。30女のヒロイン願望の片棒をかつぐのは御免こうむりたい。

別に、いついかなる時も醒めた意識でいるのが正しいと言いたいわけではない。正しくなくてもよい。ただもう何かを一途に思い込んだり、集団で盛り上がったりするのが生理的に嫌なだけ。クールなスタンス(恥)を取り続けた結果、かりに物事が悪い方向に転んだとしてもわしはかまわん! あした稽古場でまだ大木が頭にカッカ血を上らせているようなら、ぜひとも大量の冷水を浴びせかけてやろう。ざまあ見やがれ。

平常心でいようとして、つい熱くなってしまった。本末転倒っぽいな。桑原桑原。

 

追記

というか、結局は不特定多数の観客に向けて「私を見て!」をやることになるんじゃねーか、やらずにはいられなかったんじゃねーかと思い、そこが一番がっかりである。初志を貫いて我慢しろよ。これで福島行きはお忍びの旅ではなくなった。どう言い繕ったところで、ありふれた文化人のパフォーマンスに堕してしまった(世間様にとっては相変わらずどうでもいいことではあろうが)。ああ、俺みたいに口から先に生まれたような人間が言うことではないが、もっと鳥や獣や草木のように、つつましく、ただひたすら「今ここ」に寄り添って、人は生きられないものであろうか! 飛躍しすぎだ。

「ヨク隠レシハヨク生キシナリ」とデカルト先生も言うとるではないか。しかしその先生も、あれだけ膨大な書き物を世に残しているのである。ぜんぜん言行不一致。もう。

 

ナッハゾンマー

今週に入って、稽古場がさらに妙な感じになってきているような。とりあえず静かすぎる。誰もほとんど口をきかない。演出も。「次、じゃあ二場」「ん」みたいなやりとりしかない。修道院かよ。一人で軽口をたたいても気まずいだけなので、こちらもつい黙りがちになる。

特に雲雀氏がひどい。なんか目の焦点が合っていないことが多いし、台詞の途中で急に黙り込んだりする。それで別に動揺するふうでもなく、じーっとこちらを見返してくる。??? 変顔でもして見せたらいいんでしょうか…。でも休憩時間にきのこの山を差し出してみたら、ありがとうございますと言って1つ食べた。

作品は完成に近づいているのか、遠ざかっているのか、よく分からない。どうなれば完成なのかももはや謎だ。クレオンは別にクレオンらしくなくてもクレオンだし、雲雀氏がアンティゴネーならそれはアンティゴネーなのかもしれない。うーん、なに言ってんだ。煮詰まってるのか?

来週の今頃はもう福島にいるはずなんだけど、まるで実感が湧かない。ほんとに行くのかしら。やっぱり東京より涼しいのかね。風邪を引かなければいいが。

 

 

噂の真相

葬られず野っ原に打ち捨てられていたのが血を分けた兄ではなく、まるっきりの他人だったとしても、アンティゴネーは手を差し伸べただろうか。命をかえりみず掟を破っただろうか。そうは考えにくい。彼女にそこまで期待するのは無理、あるいはお門違いという気がする。しょせんは多神教世界の住人であって、例えばキリスト教的な、他者に対して無限定に開かれた愛、みたいな観念とは無縁だろう。

アンティゴネーは計画的自殺者である。決して状況に抗った者ではない。むしろこれに便乗したのである。もともと彼女は、近親相姦の子という出自を穢れたものと見なし、さらに劇の開幕時点までに血縁者のほとんどに先立たれて、自らをもう生きて甲斐のない身と思い定めていた。当世風に言えば、「この世界に居場所がなかった」。

そこに例の埋葬禁止令が公布された。知らせを聞いて彼女はまず逆上しただろうが、そのあとすぐ、ひらめくものがあったはずだ。あえて禁をおかしてポリュネイケスを弔えば、権力の手で合法的(?)に死ぬことができるではないか(自殺は古代ギリシャでも罪だったろうか?)。実の兄を首尾よくあの世へ送り出したのち、即座にそのあとを追うことができる。一石二鳥。こんな風に理想的なかたちで死ぬことができる機会は、もう二度とめぐってこないだろう。

以降のアンティゴネーの言動は、だから権力の理不尽に対するプロテストでもなんでもなく、徹頭徹尾、利己的な動機によるものである。その証拠に第二場、クレオンとのやりとりを見てみるといい。彼女はクレオンに対して「あなたは間違っている」と繰り返すが、「お触れを撤回せよ」とはひとことも言っていない。当然だ。そんなことになれば、せっかくの計画が台なしになってしまう。あえてクレオンにつっかかるような物言いをするのも、考えを改めてもらいたいからではなく、むしろ相手をたきつけ、確実に刑を執行するよう仕向けるためではないか。

繰り返して言うが、アンティゴネーはクレオンと対立してなどいない。そう見せかけておいて、実際は体よく彼を利用したのである。計略はみごと図に当たった。全テーバイ市民を味方につけ、天と冥界の神々に面目を立て、殉教者(という呼び方は時代錯誤だけれど)の栄光をまとって「殺される」ことができたのだから。唯一の誤算は、すぐにでも死ねると思っていたのに、死穢を恐れた王によって生きながら岩屋に閉じ込められるはめになったことだろう。最後の「嘆きの歌」では、もっぱらこの点について不平を垂れている(あと、処女のまま死んじゃうことも)。

かわいそうなのはクレオンである。とんだとばっちりだ。国じゅうから悪者扱いされて、あげくに妻と息子にまで死なれてしまう。そこまで悪いことはしていないだろうに。思いがけず王様の椅子が回ってきたので、いいところを見せようと張り切りすぎちゃっただけではないか。自らの資質に確信の持てない小物ならではの勇み足だが、かわいいものであって、一度くらいの失敗は大目に見てやってほしい。

とはいえ、国家主義に目覚めた馬鹿というのはかなり危険な存在でもある。あのまま権力を握らせておいたら、ますますえげつない方向にエスカレートして、本当に取り返しのつかない災いをテーバイに招き寄せたかもしれない。意図したわけではないものの、結果的に馬鹿の暴走を未然に食い止めることになったのは、アンティゴネーの手柄といえばいえるだろう。

クレオンの退位とアンティゴネーの死をもって、ライオス王以来の呪われた王家の血は完全に跡を絶った(イスメネは生ける屍として、誰とも子をなさずに終わるだろう)。悪人と愚者の見事な連携が、テーバイの歴史に新生をもたらしたわけだ。