キンダーブック

日曜日は法事で実家に帰っていた。県外に散らばっている父親の兄弟姉妹4人が勢ぞろいした。

お坊さんの明瞭かつ妙にアタック音の強い読経を聞きながら考えていたのは、7回忌を迎えた父方の祖父のことでは必ずしもなく(本当にいい人だったんですけど)、今ある仏壇のデザインっていつごろ完成したのだろうか、やっぱり江戸時代かしらん、などといったしょうもないことだった。

父方の家系はいたって信心が薄く、実家の仏壇もいちおう置いてありますという程度の粗末なしろものだが、母方の祖母の家にあったブツはなかなかに立派だった。実家のものより一回り以上大きかったし、蒔絵やら彫刻やら、飾りつけもずっと豪華だった。子供の頃は祖母の家に行くたびに、そのかっこいい意匠をあれこれ物色するのが楽しみだった。はじめからその仏壇があったわけではなくて、途中から急に出現したもののような気がする。もしかしたら、わたくしが小学生のころ亡くなった祖父の菩提を弔うために、信心深かった祖母が大奮発して新調したのかもしれない。だってさっき調べてみたら、仏壇てめちゃめちゃ高いじゃないですか。祖母は毎日かかさず燈明をあげ、ご飯をお供えし、お経を読んでいたようだ。

その仏壇のあった部屋(仏間というのか)はそれ自体も、ちょっとした和風図案の宝庫だった。ふすまや床の間、部屋と縁側をへだてる引き戸のすりガラスなどに、なんというか、輪島塗の蒔絵あたりを思いっきり簡素にしたような、たぶんごくありふれた山水画テイストの図柄がちりばめられていた。よく眺めていた気がするわりにどんな絵があったかまったく思い出せないのだが、おおかた庵があって例の霞が立ち込めていて爺いが釣り糸を垂れていたり、松の枝に鶴がとまっていたり、秋草だったり開いた扇だったり、そんなやつじゃなかろうか。仏壇のケンランたる意匠をバロックとすれば、それを水でぐっと薄めたような仏間のしつらえはさしずめロココ風といったところか(ものすごく適当なことを言っています)。もちろん実態は、ど庶民の家にふさわしい、イミテーションじみた安物の調度品ばかりだったのだろうけれど。

その祖母もわたくしが大学で県外に出てしばらくたった年の冬、心停止でぽっくりと逝き、家も何年か前に取り壊されて跡形もない。それで時折その家のことが妙になつかしくなり(はっきり言って実家よりなつかしい)、せめてそれを思い起こさせるよすがになりそうなものを求めてあれこれ「和風」の意匠を探ってみたりするのだが、これがなかなか見つからない。だいたい、仏壇的バロックやピクチャレスクな室内装飾の路線は、なぜか当今はやりの和風モダン建築や再生古民家などからは周到に排除されている。もてはやされるのはブルーノ・タウト柳宗悦あたりが喜びそうな、装飾性に乏しいすっきり系のデザインばかり。そういえば、住み家を絵で飾るって考え方自体、モダニズム以降はもう主流でないのだろうなあ。

食器にしたってそうである。祖母の家にあった茶碗やお皿は、九谷焼の里に近いゆえか、ほとんどが絵入りの磁器であり、動植物やどこかの風景(和風だったり唐風だったり)を、くっきりした輪郭線を用いて細かいタッチで描いたものが多かった。眺めて楽しいイラスト入りテーブルウェア。間違っても白洲正子風の素材感勝負な「うつわ」だったり、片岡鶴太郎系のぼやけた墨絵で汚れた代物などではなかった! 

とにかく、祖母の家で見たような「ああいう感じ」の何かが見つかりそうで見つからず(それほど熱心に探し回ったわけでもないが)、すべて幻だったのだろうかという気持ちに時々なる。何しろ現物がもうないので確かめようがない。いちど試しに母親に「ほらああいう感じ」と持ちかけてみたが通じていないようだったので、わたくしの妄想の極楽浄土であった可能性も高い。京都のお寺なんかももちろん違うし、「なつかしい昭和庶民のくらし」系でもないし、こないだ法事のあと家族親戚と行った料理屋もピンと来なかったし、ほんとなんなんだろう。ある時代の庶民の住宅として平均的な、どこにでもある意匠・様式だと思っていたのだが(実家は父親の趣味がもともと「古民家系」「白洲正子系」なので参考にならない)。まあ、あるところにはきっといくらでもあるのだろう。地方の、ほどほどな古さの家とか安旅館とか。いつか行きあたるといいと思う。死ぬまでにもう一度くらいは、あの「ばあちゃんの家」に行ってみたい。