無沙汰の言い訳

鎌倉のよく知らない寺で手を合わせたことをもって、ご先祖の墓参りに代えさせてもらった。じいちゃんばあちゃんその他各位、申し訳ない。まあ、じいもばあも生前は田舎者のわりにハイカラ党で、一年中ろくに仏壇を開きもしなかったような人たちだから、孫の不信心に腹を立てることはないだろうと思う。

年々北陸の実家から足が遠のく。父親がわりと苦手なタイプの人間で、顔を合わせて話をするのが憂鬱なのだ。我が強く、キレやすく、説教くさい。かなりウヨがかっていて、酔うと必ず日本がいかに美しい伝統を持つ素晴らしい国であるかを力説し、よその国をクソミソにけなす。こんな手合いに限って「日本の伝統」の実質をろくすっぽ知らないものだが、その点でも典型的である。あと、けっこうエコ信者。文明=人間=悪。そういう話を黙々と聞くともなく聞きながら晩飯を食べていると(家の者はあまり相手にしない)、なんだかいたたまれない気持ちになってしまうのだ。ああ、この人は何かと意に満たぬ人生をおくり、この鬱屈を抱えたまま遠からず死んでゆくのだろうなあ、と。赤の他人ならともかく、近親者にそういうことを思わされるとちょっと堪えますよ。

まあ、「パトリオット劇場」なんて名前の団体に属している人間が言うことではないですが。なんの因果か…。