俺も連れてってほしい

朝8時ごろに大木からメールが来て、今日の稽古を休むという。稽古場はキャンセルしてないので使いたい人はどうぞとのこと。演出からの素敵なプレゼントと解釈して、ありがたくサボらせてもらった。

 

目が見えない人(特に生まれつきそうな人)が持つ人間のイメージには、たぶん顔がないだろうと気づいた。のっぺらぼう。社会生活を送るうえで、これはかなり決定的な違いになるのではないか。人体に「顔」と名付けられている部分があることは理解しているだろうけど、それは目が見える人にとっての「顔」とはまるで意味が違うはず。

好悪の対象としての顔、内面を映す鏡としての顔、意志疎通のインターフェースとしての顔、アイデンティティ証明としての顔。こうしたものとさっぱり縁が切れているわけだ。他人の顔色を意識しないで済むのは、少しうらやましい気もする。その代わりにものすごく声色を窺ったりするのかもしれないが。

俗っぽいことを言えば、目が見えない人にモテる人ってどういうタイプだろうか。調査して、傾向を分析してみると面白そうだ。目が見える人の場合、やはり見た目の良し悪しというか好みは馬鹿にできないわけで、このファクターがなくなった時にどう傾向が変わるのか、それとも変わらないのか。容姿の代わりに、声とか、体臭とか、あるいは手触りとか、やはり身体的な特徴がものを言うのか。それともより内面重視だったりするのか。まあ、こういうことは人によって重きを置くポイントが違うのが当たり前なので、盲人の場合も一概には言えないのでしょうけれど。

 

夕方近所のロッテリアに入ったら、アウトドアないでたちをした30~40代くらいの女性の一団がいて、がやがやとおしゃべりをしていた。10人以上いた気がする。山登りの帰りだろうか。みなさん化粧っ気もなく髪なんかもぼさぼさだったが、とてもハツラツとして楽しそうで、なんかうらやましかった。