噂の真相

葬られず野っ原に打ち捨てられていたのが血を分けた兄ではなく、まるっきりの他人だったとしても、アンティゴネーは手を差し伸べただろうか。命をかえりみず掟を破っただろうか。そうは考えにくい。彼女にそこまで期待するのは無理、あるいはお門違いという気がする。しょせんは多神教世界の住人であって、例えばキリスト教的な、他者に対して無限定に開かれた愛、みたいな観念とは無縁だろう。

アンティゴネーは計画的自殺者である。決して状況に抗った者ではない。むしろこれに便乗したのである。もともと彼女は、近親相姦の子という出自を穢れたものと見なし、さらに劇の開幕時点までに血縁者のほとんどに先立たれて、自らをもう生きて甲斐のない身と思い定めていた。当世風に言えば、「この世界に居場所がなかった」。

そこに例の埋葬禁止令が公布された。知らせを聞いて彼女はまず逆上しただろうが、そのあとすぐ、ひらめくものがあったはずだ。あえて禁をおかしてポリュネイケスを弔えば、権力の手で合法的(?)に死ぬことができるではないか(自殺は古代ギリシャでも罪だったろうか?)。実の兄を首尾よくあの世へ送り出したのち、即座にそのあとを追うことができる。一石二鳥。こんな風に理想的なかたちで死ぬことができる機会は、もう二度とめぐってこないだろう。

以降のアンティゴネーの言動は、だから権力の理不尽に対するプロテストでもなんでもなく、徹頭徹尾、利己的な動機によるものである。その証拠に第二場、クレオンとのやりとりを見てみるといい。彼女はクレオンに対して「あなたは間違っている」と繰り返すが、「お触れを撤回せよ」とはひとことも言っていない。当然だ。そんなことになれば、せっかくの計画が台なしになってしまう。あえてクレオンにつっかかるような物言いをするのも、考えを改めてもらいたいからではなく、むしろ相手をたきつけ、確実に刑を執行するよう仕向けるためではないか。

繰り返して言うが、アンティゴネーはクレオンと対立してなどいない。そう見せかけておいて、実際は体よく彼を利用したのである。計略はみごと図に当たった。全テーバイ市民を味方につけ、天と冥界の神々に面目を立て、殉教者(という呼び方は時代錯誤だけれど)の栄光をまとって「殺される」ことができたのだから。唯一の誤算は、すぐにでも死ねると思っていたのに、死穢を恐れた王によって生きながら岩屋に閉じ込められるはめになったことだろう。最後の「嘆きの歌」では、もっぱらこの点について不平を垂れている(あと、処女のまま死んじゃうことも)。

かわいそうなのはクレオンである。とんだとばっちりだ。国じゅうから悪者扱いされて、あげくに妻と息子にまで死なれてしまう。そこまで悪いことはしていないだろうに。思いがけず王様の椅子が回ってきたので、いいところを見せようと張り切りすぎちゃっただけではないか。自らの資質に確信の持てない小物ならではの勇み足だが、かわいいものであって、一度くらいの失敗は大目に見てやってほしい。

とはいえ、国家主義に目覚めた馬鹿というのはかなり危険な存在でもある。あのまま権力を握らせておいたら、ますますえげつない方向にエスカレートして、本当に取り返しのつかない災いをテーバイに招き寄せたかもしれない。意図したわけではないものの、結果的に馬鹿の暴走を未然に食い止めることになったのは、アンティゴネーの手柄といえばいえるだろう。

クレオンの退位とアンティゴネーの死をもって、ライオス王以来の呪われた王家の血は完全に跡を絶った(イスメネは生ける屍として、誰とも子をなさずに終わるだろう)。悪人と愚者の見事な連携が、テーバイの歴史に新生をもたらしたわけだ。